ESSAY

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随筆

3・11の記憶

東日本大震災は、日本人ならずとも長く記憶に刻まれるでしょう。テレビは、連日その驚愕の画像を送り続けました。
皆さんは覚えていますか? 放送の合間に流されたACジャパンのCMのことです。
ただテレビを見ているだけで無力感に陥る自分に代わって、画面から語られる金子みすゞ(Fig.1)の詩が鮮烈な響きを伝えてきました。
童謡詩「こだまでしょうか」の最後のフレーズ、いいえ、誰でもは万人の琴線に触れたのではないのでしょうか。
「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。
そうして、あとでさみしくなって、
「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、いいえ、誰でも。
私は震災者への癒しのために流されたのではないかと思えるほど心に染み入りました。
普段、聞いたとしても気にならないこのCMがあの状況下においては言霊になるのでした。
健気な童謡詩が語り部によって言葉に宿る霊力に姿を変えたのです。
私が最初に金子みすゞの詩に関心を寄せたのは、十数年前だったと思います。ネットの音楽サイトからです。
ハンドルネームるり(Fig.2)の女子大生は、イラストが得意で自らの作品も含めて、詩をモチーフにした画像をしばしば送ってきました。
それに対して金子みすゞの詩はなんだか物足りないのではとの書き込みをしました。
私はシラー(シルレル)やゲーテなどのこく(・・)のある詩に魂を揺さぶられますと。シ
ラーの自由詩「歓喜に寄せて」はベートーヴェンの第九の歌詞として、またゲーテのソネットはシューベルトの「野ばら」や
モーツアルトの「すみれ」などの歌曲からです。音楽を通して詩が自然に耳に入るのですと答えました。
るりさんの返事は、シラーやゲーテは古典であり感動しますが、高尚すぎて自分とは別世界のように思えます。
金子みすゞの詩は日常の自分の生活に溶け込んでいますというものでした。よくよく考えてみれば、
歌曲においては歌の力が歌詩より勝るとはいえ、私がそれらの詩篇の奥義を味わえていたかどうかは
疑わしいのではないのかと思いました。学生さんが取り分け好んでいた「すずめのかあさん」を口直しに紹介いたします。
子供が子雀つかまへた。
その子のかあさん笑ってた。
雀のかあさんそれみてた。
お屋根で鳴かずにそれ見てた。
とても慈愛に満ちたやさしい詩だと思います。私は未曾有の大震災をきっかけに、
ACジャパンのCMを通して金子みすゞの世界に目覚めました。いつか東日本大震災の記憶は、彼方に去ってしまうかもしれません。
それよりも先に身近で、天変地異が起きるかも知れません。けれども、言霊を導いた詩歌の世界の素晴らしさは、
ずっと抱き続けられると思います。その思いを潜めて三十一文字に要約して、るりさんに送信しました。
災を癒す言霊でしょうか金子みすゞは雀のかあさん
Fig.1 山口県出身 明治生まれの童謡詩人 。わわずか26歳で死去するまで500余の命に響く美しい詩編を残す。バブル崩壊後に広く世に知られるようになりました。
Fig.2 ハンドルネームるりの自画像。趣味の幅が広くて幾多の透明な詩や俳句それからフェミニンなイラストを発信。大学卒業後結婚。現在は一児のママ。
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