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歯科評論

炎立つ

静かな院内でスパチュラでロー堤を軟化しながら次回は人工歯配列を、と思っている。炎を目の当たりにしているので緊張感で言葉数は少ないが、最近は患者の願いが伝わってくるのが分かる。すると勇気が生まれ、自信を持って次回、完成と技工伝に書けるようになった。思えば駆け出しのころ、義歯の試適で噛み合わせを咬合紙でチェックするどころか殆どの人工歯をロー堤から外し、何のための咬合採得だったか嘆く。またクラウンをセットする時、どうか入りますようにと願いを込めて支台歯の上に置く。その他リーマー破折やパコなどなど。そういった失態を知らないで、リピーターとして来てくださる患者さんの素直さに答える術もなく、ただ感謝・感謝で終わらせてしまう。だから歯医者は気楽な稼業と浮かれていると、いつかしっぺ返しを受けると恐れていても告白ができない立場である。さまよえる歯科医は、患者に成り代わって厚生省に折檻されなければ、これらの罪はこの世では償えないのだろうか。だからといって患者さんの虚像の信頼にこのまま甘えてしまっても良いのだろうか? 皆さんつまりですね・・・結婚するときの、誓詞の言葉がそのまま現実の生活に反映するかと聞かれたら一応は、ノーですよね。まぼろしだったバージンロードを回想するのと、これから歩まねばならぬ歯科道と、どちらが大切かの問いと同じです。巷の声には岐路に立ったときの迷いを無くし、選択の勇気の教えがあるのではないでしょうか。不景気だと嘆かず、かつて戦場だった院内に目に見えない懺悔室を設けませんか。むろん、そこに入るのはあなただけ。

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