医療法人社団 栄桜会 杉の木歯科医院 SUGINOKI DENTAL OFFICE

千葉県富里市で保険診療、インプラント、アンチエイジングに取り組む地域密着型の歯医者、杉の木歯科医院のブログ

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随筆

最後に虹を見てからもう十数年になった。子供のころはしょっちゅう見たが、最近は余り見なくなった。大気汚染の影響だと思う。それから高層ビルの乱立のためだろう。大空いっぱいに広がる美しい虹を見て歓声をあげた昔が懐かしい。

 思えば七色の虹と言っても、その両端の紫色と赤色はあいまいで、五色として見られるのがせいぜいであった。でも、カラーテレビもなく、映画もまだ、モノクロを上映していた時代に育ったので、その美しさと雄大さに心を打たれて、色の種類などは余り問題ではなかった。


 夕立の後ろでよく見られた。突然のどしゃ降りにたたられて傘もなく、じっと人の家の軒先で天を仰いだ。ようやく雲の切れ目から洩れる薄日に晴れ間の近いことを知り、その期待とあいまって、突如として青空に現れる、その雄姿に大いに感動した。


 でも今、虹を見ても子供のころのような感激はないだろうと思う。むしろ、ひたすら感激した、あの頃の感受性豊だった時代を懐かしむ気持ちの方が先立つだろう。


 虹は普通、大きな孤を描くが、パイロットは円形の虹に遭遇すると聞く。分厚い入道雲の上に鎮座する様は後光にも例えられ、飛行機が虹の中心を通過するときには、文字通り大自然の中核に触れるような感動に浸ることが出来るらしい。


 時たま、庭やグラウンドで水撒きしている時にも見られることがある。同じ虹なのに「虹はきっと、このようだった」と思いに耽るのはきっと、周囲を圧する広がりがないからだ。私が求めているのは虹そのものではなくて、少年時代に感動した心なのではないだろうか。


 虹を見ても、かの心の高まりはもう得られないとしたならば、虹は他の事柄で感動したときに形容するときに使用するしかない。

 例えば「虹のように美しい人」とか「虹のようなきらびやかな絵画」となるが、何だかぎこちない。もっと旨い用い方はないのだろうか?「虹のように美しい夢」とか「天国に通じる虹の橋」などの抽象な言葉にはフィットするのは、花や月とは違って虹は日常的でないから、具体的な事物にはかえって不自然かも知れない。


 でも世間には、以前は夢物語と思われたことが具現化し、虹のように極彩色を帯びて満ち溢れている。しかし、同時にその夢の代償に支払った喧騒が、ざわめきとなって、シャボン玉のように巷に溢れている。人の心の綾が色褪せて乾いているのは、カラフルな夢と人をつなぐ虹の架け橋がなかったことらしい。