医療法人社団 栄桜会 杉の木歯科医院 SUGINOKI DENTAL OFFICE

千葉県富里市で保険診療、インプラント、アンチエイジングに取り組む地域密着型の歯医者、杉の木歯科医院のブログ

ご予約・お問合わせ
お電話でのお問い合わせはこちら
0476-93-1155
文字の大きさ

院長ページ

随筆

わすれな草

 だれでも麻疹に罹ったことがあるように、また、だれしも思春期を通過してきたように愛もまたしかりである。すっかり手垢で汚れてしまったように思われるこのことばが、まだ十分に咀嚼されていない側面を持っている。


 花の名前が愛に由来するのが極めて少ない。でも、花は愛情表現の小道具としてしばしば用いられる。薔薇がそうだ。花ことばが「情熱」で愛を表すのに相応しい。カルメンが純情なドン・ホセを誘惑するときに投げかけたのが、それまで口にくわえていた真っ赤な一輪の薔薇だ。それから、結婚披露宴にはよく薔薇が飾られ会場は花嫁花婿にもまして、カラフルな無数の花々によって華燭の典が演出される。花ことばの多くは愛に関するものだが、花の名前そのものが愛が元で名づけられたのは稀で、その一つが忘れな草である。ムラサキ科の多年草で欧州が原産だが、北海道では自生すると聞く未知を予感させる淡い響きを持つ呼び名は暗示的だ。

 花そのものは、胡蝶蘭やカトレアとちがって思わず人目を引くことはない。可憐で、日常的で花屋さんに飾られても見過ごされてしまいそうである。


 嵐の止んだ後、ペルタと二人でドナウ河畔を散歩していたロベルタが、愛するペルタのために岸辺に咲いていた藍色の小さな花を採ってやろうとして、足を滑らせてしまって河に落ちた。必死に岸に泳ぎつこうとしたが力つき、握っていたその花をペルタに投げ、「私を忘れないでくれ!」と叫んで濁流に飲まれて沈んでしまったエピソードがその名の由来である。英語ではforgetーmeーnotと綴られ、オールド・ファンには懐かしい同名の映画が日本で昭和三十年代の半ばに上映された。主演のF・タリアヴィーニは、NHKが幾度か招聘したイタリア歌劇団の団員として来日したことがある名テナーで、彼の甘い主題歌の響きはオールドファンの語り草となっている。


 水仙も愛に由来する名前だ。学名はナルキススで有名なギリシャ神話の少年ナルキソスが水面に映った自分の美しい姿を慕い、果たせぬ恋を儚んで入水したことに由来する。後年になって、水辺に咲いた花を人々がナルキススと呼んだ。それから、すみれもギリシア語のイオンが語源である。神ゼウスが召使のイーオと戯れているところを、あわや妻のヘーラに見つかりそうになったのであわてて牡牛に変えてしまった。でも一生、堅い草だけを食べさせるのは可哀想なので柔らかい餌として、食べやすいイオンを咲かせた。


 しかし男女の清純な愛となると忘れな草だけである。けれどもforget-meーnotを直訳すれば「私を忘れないで草」となり、押しつけがましく趣に欠ける。そのエピソードが、忘れな草の由来であるが「エピソード」も響きの良い外来語だけれども「挿話」と「逸話」のどちらにも用いられるのは疑問だ。本来は「挿話」の英訳であって、正確には逸話は「アネックドーツ」と書く方がよい。今まで、そういった誤りが受け入れられてきたのは、美しい語感を有しているからだ。外国語を無理に訳さない方が良いのと同様に、古典的な日本語はそのままで、と願うことがある。足袋はtabiで良く、これをwhitesocksとすれば大リーガーのチーム名を連想してしまう。相撲もsumowrestlingだと何だか八百長に結びつけてしまうので、国際的なスポーツとなった今はsumoで十分、意味は通じる。けれども、ハネムーンは言うまでもなく、蜜月旅行であるが旅行はあとから付け加えられた。蜜月。すなわち欧米では結婚したての三ヶ月間は、世間に我がままが許されるという本来の意味はほとんど記載されていない。これも、誤った外来語であろう。旅行の方を強調したのは独自の和訳である。


 古来、日本では胸中を表白するのに花鳥風月の自然界の美しい景色や景物とともに、恋・心・逢ふ、などの語句が用いられたが愛がふんだんに記された書物や歌、そして句は知らない。愛は外来語らしい。恋愛・愛妻・愛娘など、複合語としては用いられるのだが、愛だけが、いつの間にか独り歩きをしてしまった。愛するよりは「愛でる」「愛しい」が本来の読み方ではないだろうか。日本語においても万葉がなや、人の名前の当て字は美しい誤りといえよう。愛は「あい」であるが「めぐみ」とも呼ぶ。人の名前も愛に由来するのは少ない。けれども、それには両親の愛情が込められている。そして、花とともに固有の美しさを持っている。ロベルタが命をかけるほどに。


 花ことばが人の花への愛からで、そして人の名前も花ことばと同じ思いを持つならば、どんなに人目に付かない草花や人々も「雑草」や「他人」という名前ではない。